東 智洋(36期生)

更新日時:2019年07月08日

東智洋1

氏名 第54回同窓会総会実行委員長
東 智洋(ひがしともひろ)
勤務先 霧島市消防局中央消防署隼人分遣所
階級 消防士長
職名 救急分隊長(救急救命士)
部活動 バスケットボール部

鹿児島中央高校に進学した理由

学力に見合った学校で勉強とスポーツを両立できる学校だと思ったからです。中学校時代から鹿児島中央高校の前にある受験ラサールに通っていたこともあり、自然と鹿児島中央高校での学校生活を頭に思い描いていました。

母校での3年間

一番思い出すのは部活動です。1年生の時から公式戦にも出場させて頂きました。
早朝のゼロ限から始まる過酷なスケジュールをこなし、放課後に部活動、帰宅してから膨大な量の日々題に追われる環境で、みんな精神的にも体力的にとてもきつかったと思いますが、そんな環境でも互いに切磋琢磨し県のウインターカップ予選でベスト4に進出した時は涙を流して喜びました。部活動を通じて本当に最高の仲間に出会えたと思います。そんな彼らとは学校では常に一緒に過ごしていました。夏休みに私の吉野の実家に招いてバーベキューをし、夜中まで満点の星空を眺めながら将来を語り合ったことは今でも鮮明に覚えています。いまでも再会すると吉野でバーベキューしようよ!!と話題になるくらいです。彼らの存在は社会人となった今でも私の心の支えになってくれています。

勉強面では、入学後の最初の試験で、全体で29番の成績をとり、家庭訪問で九州大学も行けますよ!と担任の先生に言われ母親が喜んでくれたことを覚えています。しかし、その後、化学が苦手すぎて成績は急降下!!それでも部活を続けたい一心で勉強も頑張りました。睡眠時間の平均は3時間前後だったと思います。しごきの中央と言われ宿題も相当量あり、生活面でもかなり制約があり、とても厳しい学校生活ではありましたが、そのような思い出がより一層友人たちとのつながりを強いものにしてくれた気がします。

大学進学から就職まで

東智洋2

消防車

将来については父が鹿児島市役所に勤めていた影響もあり大学卒業後は市役所に勤めたいと、当時唯一専門的に地方自治を学べる群馬県の高崎経済大学に入学しました。専攻は政治学で主に選挙の仕組みや国民の投票行動を統計学的に研究していました。卒業論文は鹿児島県の行政評価システムの展望だったと思います。

そんな中、大学4年生の時に新潟中越地震が発生しました。当時住んでいた高崎市でも震度5強、隣県の新潟県では震度7を観測する大地震でした。この地震はただ人の役に立つ仕事に就きたいから市役所に入りたいと将来を漠然と考えていた私の大きな転機となる出来事でした。テレビを通じて次々と報道される悲惨な光景、救助に向かう警察・消防・自衛隊、いつのまにかテレビの前に釘付けになると同時に、何もできない自分に無力感を覚えたことを覚えています。以降は故郷の鹿児島に帰り消防職員になろうと決心し、大学卒業後に現在の霧島市消防局に入局しました。

霧島市消防局入局

隼人分遺所

消防局入局後は救急救命士の国家資格を取得し、現在は主に救急隊として勤務しております。救急救命士は医療機関で行うような根本的な治療はできませんが、傷病者に応急処置を施し、病態を把握したうえで適切な医療機関に傷病者を搬送するという基本的な役割を担っています。

しかし、時には心肺停止事案や生死の危機に瀕している傷病者に対して、医師の指示を仰いだうえで、静脈路確保やアドレナリン投与、気管内挿管といった特定行為と呼ばれる医療行為を実施することもあります。肉体的にも精神的にも負担の多い仕事ではありますが、人の命と真剣に向き合えることができるこの仕事に今は誇りとやりがいを持ち毎日を送っています。

第54回総会に向けて

私たち36期生はこれまで同窓会活動への参加は皆無でありました。前実行委員長の兒玉先輩とのつながりから実行委員長を引き継いだ時は不安で仕方ありませんでしたが、時間を重ねることで先輩方との距離も次第に縮まってきたように思えます。そして何より、総会に向けた準備期間のなかで同じ36期生と過ごす時間がとてもかけがえのないものに感じられます。多くの同窓生に参加して良かった、また来年も参加したいと思って頂ける素晴らしい総会にしたいと思っておりますので少しでも多くの方に足を運んで頂けたら嬉しいです。