卒業生の活躍

兒玉侑大(35期生)

更新日時:2018年07月10日

兒玉侑大
氏名 第53回同窓会総会 実行委員長
兒玉侑大
勤務先 霧島市役所 総務部財政課 主任主事
住所 霧島市国分中央3-45-1
電話番号 0995-45-5111(代)

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鹿児島中央高校に進学した理由

母校の先輩で県庁に勤務されている方が近くに住んでおり、当時から行政マンになりたかったので「中央には入れれば行政マンになれる(笑)」と思ったためです。何とか無事に合格できました。

母校での3年間

入学後は空手部に所属しました。1学年各5名程度の部員数だったので、講堂の舞台や袖で練習に励みました。

「ランニングの体操服」は自分たちの代から半袖のTシャツタイプに、また補助バッグも変わりました。(ただ在校時は賛否両論のあった補助バッグでした。)ちなみに「中央高校体操」は1年時までで、それ以降は実施されなくなってしまいました。

1年時は長野オリンピックの年で清水選手への憧れもあり、ちょうど33期生がご卒業された後には、3階の「よく滑る蠟引きの廊下」で「スピードスケート」のマネをして友人とレースを楽しんでおりました。

2年生の時、修学旅行で中国に行きましたが、訪問地の西湖で乗っていた遊覧船が他の船と衝突事故を起こしました。その際、何を思ったか他の船へ一人飛び移り離れ離れになり、船着場でクラスの仲間と合流できた時には、添乗員さんにこっぴどく叱られましたが、今でも反省しております。

この年の体育祭では、障害物競走に出場しましたが惜しくも負けてしまい、悔しさから1年間、レースの研究を重ね、最終学年で一番になりました。高校時代の数少ない成功体験です。

勉強の方はといえば、1年時の数学教科担任の先生が怖くて、日々題や予習もまじめに取り組みました。2年時は文系クラスに進級しましたが、致命的にも国語と英語が非常に苦手でした。
特に英語は、先生から「(大学に進学したくても)どこにも受からないレベル」と指導されましたので、センター試験までは英語の成績を上げることに重点を置き、「英語漬け」の毎日を過ごしました。

何事も規律があって厳しい3年間でしたが、苦楽を共にした友人たちと天文館で遊んだりして適度な息抜きが貴重な時間であり、楽しみの一つでした。

その甲斐あってか、35期生は野球部やサッカー部の活躍をはじめ、切磋琢磨し、文武両道の素晴らしい結果も残しました。

大学進学から社会人としてのいま

苦手な英語も何とか克服し、幸いにも鹿児島大学法文学部法政策学科に進学できました。大学生活は順風満帆に過ごせました。

就活時は、大学で行政法を専攻していた関係で判例研究を活かせるのではないかと思い、当時、産業廃棄物処理場の建設が予定されていた国分市(現霧島市役所)を受けて、合格しました。

地域密着という点では、大きな自治体とは異なり「市民との距離も近く、住民の声を直接耳にする機会も多い」職場だと実感しました。また、市民と行政の感覚差にいち早く気づくことのできる「現場系の部署」に今まで配属されたおかげで、仕事も比較的早く覚えることができました。

これから目指すことは、財政と法律を知らなければ適切な判断ができないので、総合職(ゼネラリスト)のプロフェッショナル」になれるよう経験を活かし自分の力を付けていきたいです。また、地方においては、社会資本を整える役所の役割は大きいという観点からも、市民がこの地に暮らしてよかったと思えるまちづくりに励みたいと思っております。

第53回総会に向けて

伝統を繋いでいくのが務めであり重要だと思っております。
そして同期の絆を深めながら準備に明け暮れております。

御縁の拡がりにも期待しておりますので、同窓生に一人でも多く参加してもらえるよう微力ながら担当期として全力でお手伝いします。

西島満里子(1期生)

更新日時:2018年07月09日

西島満里子
氏名 株式会社西島商事
西島満里子
職業 サービス業 オーナー
店名 マリーグループ
(沙悟浄・カマラードマリー
・カタリナマリー・ベベドマリー)

鹿児島市下荒田2丁目4番2号
TEL:099-226-3317(代表:カマラードマリー)

沙悟浄
沙悟浄
カマラードマリー
カマラードマリー
カタリナマリー
カタリナマリー
ベベドマリー
ベベ・ド・マリー

「皆さんはこれから我が鹿児島中央高校の歴史を創る」 城西中学在学時に、学校説明会で訪れた初代柳校長の弁舌爽やかで情熱的なお話に心を打たれ、進路を決めたことが忘れられません。

校長の母校にあたる広島師範学校(現広島大学)卒業生の先生方も多く、当然ながら「校風のない」新設校だったため、学校方針である「体を鍛えることは心身の健全育成に繋がるという考え」を念頭に、加久藤峠の登山キャンプの実施や卒業時に「将来の夢」を全員に書かせるなど、「自分達がこれからの学校の色を創り上げなければならない」と感じるほど必死に指導教育してくださったことをしっかりと憶えております。

一年生時は伊敷の現県立短大の所にあった使われていない公共宿舎が仮校舎でした。 また、「足並みを揃えることで連帯感を高め心をひとつにする」団体訓練も、ゴツゴツした伊敷校庭の石拾いから始め、たまに甲突川縁へ場を移し毎週行われました。

夏は、生徒数が500名弱にもかかわらず高校総体の予選に各部も参加したりと、教師生徒共に「何もかもが手探り状態」でした。

2年生になって、ようやく旧鶴丸高校(現在の加治屋町)の校舎に移転しました。 2期生のみなさんは、入学式から現在地でスタートを切ることができました。

この頃、校舎には土足で入っておりましたが、泥が積もった床を木の白い肌が見えるまでクレンザーと束子で懸命に磨きバケツで水を撒き流し、拭き取って乾いたら蠟引きするという時間が定期的にありました。「中央高校伝統の床磨き」の原点とも言えます。

笠沙の網元である実家の手伝いをしておりましたが、急に父が病に倒れ、三姉妹でしたので女の子のできる仕事として小さな化粧品販売店と美容室を母が始めました。短大後、美容専門学校へ通い管理免許までを取得して、現鹿児島 中央駅前に約30坪の「マリー化粧品美容室」を開業しました。

お客様の喜ばれる顔を見るのが嬉しく事業も順調に伸ばしておりましたが、次第に「一日何人対応できる仕事かな」と考え多少限界を感じ始めた頃に、天文館にあった「とあるスナック」の内装に感動し、翌日にはその設計士さんとすぐにお会いし美容室をスナックに即改装、始めたのが「沙悟浄」というお店です。現仕事のスタートです。

未経験で初めて47年が経ちました。「まだ15年位しかやっていない気持ち」で、楽しくいまだに仕事をしております。

後輩・現役生徒へのメッセージ

先輩のいない私たち一期生は、先輩がいる他校の歴史ある学校を羨ましく思うことがありました。今では母校も沢山の卒業生がいます。
中央高校という名を絆にして、先輩後輩の交流が深まることを願っております。

田中 巽(1期生)

更新日時:2017年11月22日

田中 巽
氏名 医療法人ハヤの会 田中矯正歯科
田中 巽
職業 歯科医師(歯科矯正専門)
部活動 サッカー部

田中矯正歯科[外部リンク]
〒890-0053 鹿児島市中央町21-14
TEL:099-257-9052

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思い出の先生

柳直一校長先生の生徒への講話が一番心に刻まれています。
1987年の夏休みに渕上哲彦先生と大久保寛先生に引率して頂いて宮崎から大隅半島を2泊3日でサイクリング旅行したことです。

思い出の校舎

戦後初めての新設の県立高等学校として新しい校舎もなく明治30年に45連隊の兵営として薩摩健治の養成の場として建てられ、70年以上経った伊敷の木造2階建ての仮校舎で授業が始まったことです。
校舎の前には年月を経た大木がありました。

思い出の出来事

伊敷の校庭では、団体訓練をするため校庭で毎日石拾いをしたように思います。
柳校長先生の号令で全校生徒495人と教職員の先生方も一緒になって全員が足並みを揃えて走ることが出来るまで、毎日校庭を走ったことです。
また、教育キャンプで霧島の自衛隊のカマボコ型の宿舎で同級生みんなと寝食を一緒にして、協力して登山をしたことです。
そして、卒業式で諸君は本校を無から有を産んだことが1期生として勇躍全身の基調となると言われたことです。

その他

県立鹿児島中央高校の教育理念は、創設された初代柳直一先生が掲げられた3綱領5条目にあることは周知の事実です。社会人になって多くの困難にあっても、3綱領5条目を思い出すことで常に心して行動することができると信じています。団体訓練を行うことは個人の行動を見直し、また全体を考える事のできるなど、身体で体験できる良い教育です。
創立50周年の記念体育祭の時、創立時の先生方と同窓生が一緒になって団体訓練を行いました。在校生の感想では、私たちと同じように団体訓練をされていたことを知り驚いてしまいました。100週年の50年後に同じように在校生が団体訓練をしてくださることを願っています。
50年を経ても本校の教育理念は不変であり今後も継続されることでしょう。

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