鍵谷 謙吾(37期生)

更新日時:2023年07月13日

鍵谷 謙吾

氏名 鍵谷 謙吾
卒業期 37期生
職業 株式会社 昴
役職 教室長
部活動 サッカー部

鹿児島中央高校に進学した理由

学校の教員を目指すために国公立大学の進学者が多く、また、サッカー部の強い高校に行きたくて進学をしました。後で分かったことですが、かなりギリギリの点数で合格していました。入試当日の国語の記号問題が全てあっていたことが合格を引き寄せたと今でも思っています。(国語が苦手であった自分としては、当時通っていた昴和田校の先生に感謝しかありません。)

高校3年間の思い出

第一に浮かぶのは部活のサッカーです。小・中学校のときは弱小チームだったので、一度でいいので強いチームでサッカーをしたいという思いで、サッカーに打ち込みました。下手なりに努力はしました。レギュラーになれることはありませんでしたが、3年間最後まで諦めずにできたのは、同級生のおかげでした。今でも悔いは残っていません。
第二に浮かぶのは、朝5:30に起床し、6:18五位野駅発のJRに乗って中央高校に通ったことです。通学時間は片道約一時間(自宅から五位野駅まで10分、JRで30分、鹿児島中央駅から中央高校まで15分)、中学校のときの友人と一緒に三年間通いました。時間を有効に使うために、JRの中で日々題を終わらせたり、英語の小テストの勉強をしていました。(とはいうものの、宇宿駅くらいからは眠くて寝ていました・・・)

大学生活

自分の勉強不足のため、教育学部のある国公立大学への進学はできませんでした。しかし、不合格になったときに、自分を見つめなおす時間を作り、「浪人か?私立大学に行くか?」を真剣に悩みました。手続き終了の二日前に、大分県の別府大学に行くことを決めました。そのときの自分は、「浪人よりも、次のステージで夢をかなえよう」でした。別府大学に進学した理由は、歴史が好きで専門的な勉強をしてみたかったということと、教職課程のカリキュラムがあったからです。大学での勉強はそこそこしましたが、コンビニや旅館でのアルバイトを積極的にしました。20年以上たった今でも、別府に遊びに行ったら顔を見せに行き、自分の現状報告をしたりします。(自分が働いていたところはもう別な店舗等になっていますが・・・)
そして19歳のときに「サッカーの審判免許取得」が自分の人生を大きく変えたことだと言っても過言ではありません。初めはサッカーショップの知り合いに誘われたから続けていたことが、審判の楽しさや難しさを勉強する中で40歳になった今も現役で続けられています。

株式会社 昴での仕事

鍵谷 謙吾さん

鍵谷 謙吾さん

鍵谷 謙吾さん

延岡校~伊集院校~川内北校と赴任してきて、現在は14年目を迎えています。一番の思い出は、自分が中学校のときに和田校でお世話になった数学の先生と一緒の職場になったことでした。そして自分が教室責任者になり、「子どもたちのために」をモットーに、中学入試や高校入試の受験指導はもちろんのこと、学校のテストで良い結果を出すためにどのようにしていくのかなど、生徒・保護者と二人三脚で行っています。生徒たちが目標を達成したときに嬉しい顔を見ることができるときが一番、この仕事をしていて良かったと思う瞬間です。いつも生徒たちには、「結果を出すためには、他の人よりも何倍も努力をする必要がある」ことが大事だと話をし、生徒たちと接しています。常に全力で向き合っています。

サッカーの審判・インストラクターとして

19歳から始めた審判活動ですが、現在も審判活動は続けています。これ以外に、36歳からは広報活動としてHPに活動報告を掲載したり、39歳からは2級インストラクターとして、若手育成の手伝いをしています。最近ではシニアの審判委員長にもなり、本業の仕事以外も充実した日々を送ることが出来ています。

第58回同窓会総会・懇親会に向けて

懇親会は2019年以来、4年ぶりの開催です。テーマは「さいかい」です。これは、同窓生との「再会」、懇親会を「再開」することを掛けています。「今日参加して良かった。また来年も参加しよう」と言ってもらえるように、参加頂ける皆様が笑顔で、楽しんでもらえるようにするため、準備中です。8月12日(土)を楽しみにしていてください。同窓生の皆様の参加をお待ちしています。

後輩・現役生へのメッセージ

どんなことにおいても、楽しいこと、うれしいこと、苦しいこと、悔しいことが今後も色々でてきます。苦しいことや悔しいことから逃げ出すことをせず、それを楽しいことやうれしいことにするためには、「他の人よりも何倍も努力をする必要」があります。「努力は決して結果を裏切らない。」